浜田雅功の高校は日生学園!なぜ入った?脱走したいほどヤバい!

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浜田雅功さんの出身高校は日生学園だと話題になっていますので調べてみました。

また、日生学園にはなぜ入ったのか、脱走したいほどヤバいという真相についても見ていきましょう。

目次

浜田雅功の高校は日生学園!

浜田雅功さんの出身高校は

日生学園第一高等学校(偏差値:44)
日生学園第二高等学校(偏差値:39~46)

です。

浜田雅功さんは1979年4月に日生学園第一高等学校に入学し、1980年4月に日生学園第二高等学校に転校しました。

そして1982年3月に日生学園第二高等学校を卒業しました。

なお現在は

日生学園第一高等学校→桜丘高等学校
日生学園第二高等学校→青山高等学校

と学校名が変わっています。

そして第一高等学校は国公立大学志望、第二高等学校は私立大学志望、という違いがあります。

浜田雅功は日生学園になぜ入った?

浜田雅功さんが日生学園に入った理由は、子供の頃から“超悪ガキ”だったからです。

浜田雅功さんは中学時代のエピソードとして

友達の家のドアをノコギリを使って破壊した

があります。

なんでも、友達と会う約束をしたようですが、友達が来なかったようです。

そこで腹いせにドアを破壊したとのこと。

普通の中学生がやるようなイタズラにしては程度が甚だしいですね。

そして浜田雅功さんは松本人志さんとはクラスメイトだったそうです。

浜田雅功さんは松本人志さんと数々の不良行為をしていたと言われています。

このように浜田雅功さんの中学生時代は、手が付けられないほどの超悪ガキだったのです。

そこで中学校の担任の先生は

普通の高校で浜田は対応できない

と言い、浜田雅功さんの父親に日生学園を勧めたのです。

このような経緯から浜田雅功さんは日生学園に入ることになりました。

日生学園は脱走したいほどヤバい!

浜田雅功さんが入学した日生学園は脱走したくなるほどヤバいと言われています。

日生学園のヤバいエピソードとしては

・年に数回しか家に帰れない
・寮に帰ると、毎回身体検査がある
・放課後は10kmのランニング
・トイレは素手で掃除しなければならない
・40度の高熱でも、薬だけ飲んで病院禁止
・朝4時に起床し、2kmのランニング
・下級生の失敗は、連帯責任として上級生の責任になる

他にもまだありますが、普通の高校とは全く違いますね。

これは当時の話ですので、現在は普通の高校になっています。

それでも当時はこうだったわけですから、確かに脱走したくなるほどヤバいというのは間違いありませんね。

それで浜田雅功さんは高校1年生の時に脱走を試みましたが、見事に脱走に成功することができました。

その際には、松本人志さんに電話して

お金を持って迎えに来てくれ!

と言ったようです。

その時の浜田雅功さんはうどん屋で熱々のうどんを一気に完食してしまうほど空腹だったようです。

このエピソードを聞くだけでも、日生学園の高校生活は壮絶な教育環境だったことが伺えますね。

なお浜田雅功さんは脱走はしましたが、親と相談して再び学校に戻りました。

こうして浜田雅功さんは高校3年生になると「副学寮長」という立場になりました。

副学寮長は、他の生徒から一目置かれる存在だとか。

浜田雅功さんは高校時代からリーダーシップを取っていたのです。

しかし浜田雅功さんは、下級生の失敗により連帯責任を問われたことがあります。

その時は、コンクリートの床で10時間以上も正座させられたようです。朝9時から夜8時までずっと正座させられたとか。

副学寮長ですので、より厳しい罰を与えられていたわけです。

浜田雅功さんは当時のことについて

確かに社会に出て、高校時代以上の辛さは経験ない

と語っています。

ちなみに浜田雅功さんの2年後に今田耕司さんが日生学園に入学しました。

しかし今田耕司さんはあまりの厳しいスケジュールに耐えられず、入学から1年後に脱走し、そのまま退学しました。

今田耕司さんは当時の日生学園について

もはや監獄ではなく地獄ですよ
刑務所です

と語っています。

それを考えれば、浜田雅功さんはもの凄い根性があることが分かります。

このように当時の日生学園は脱走したくなるヤバい高校でしたね。

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