大坂なおみの父親はハイチ出身!職業は英語講師で日本語もペラペラ!?
大坂なおみさんの父親はハイチ出身で国籍について調べてみました。
また、職業は英語講師で日本語ペラペラの噂についても見ていきましょう。
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父親はハイチ出身!
大坂なおみさんの父親はレオナルド・マキシム・フランソワさんと言います。
父親はハイチの首都近郊にある港町ジャクメル出身です。
父親は幼少期はハイチに住んでいましたが、高校進学の時にアメリカに移住しました。
つまり父親は高校生の時にアメリカの国籍を取得することになります。
アメリカの国籍を取得した父親はハイチ系アメリカ人となりました。
父親がアメリカ国籍を取得した理由は明かされていません。
しかしハイチは貧しい国なので、アメリカンドリームを夢見て移住したのではないかと言われています。
または父親の両親がニューヨーク在住ですので、父親もアメリカに移住したのではないかと言われています。
しかし父親はニューヨーク市立大学を出たようですからとても優秀な学生だったようです。
となると父親はアメリカンドリームを夢見てアメリカに移住したのかもしれませんね。
ちなみに大坂なおみさんの母親は日本人ですから、大坂なおみさんはアメリカ人と日本人のハーフということになります。
大坂なおみさんはこれまでは日本とアメリカの二重国籍でした。
しかし20歳になった時にどちらかを選択しなければいけなくなり、大坂なおみさんは日本国籍を取得することにしました。
父親とは違う国籍を選んだわけですが、これは父親からアドバイスを受けたからでした。
「日本に長くとどまるのであれば日本の国籍を取得しておいたほうがメリットが大きい」
最もらしいアドバイスですね。
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職業は英語講師で日本語もペラペラ!?
大坂なおみさんの父親は日本国籍ではないものの、かつては日本に住んでいたことがあったそうです。
その時に父親は北海道札幌市で英会話スクールの講師としてお仕事をされていました。
この時に嫁の環さんと出会って恋に落ちました。
父親と母親は交際をスタートさせましたが、母親の両親に結婚を反対されました。
したがって駆け落ちするように父親と母親は大阪に移住することにしました。
父親は大阪でも大手英会話スクールで講師を務めましたが、「大阪弁をしゃべる面白いアメリカ人の先生」として有名になっていたそうです。
このように父親は10年近く日本にいたことですっかり日本語がペラペラになったようです。
父親が大坂なおみさんにテニスを教えていた時には「なおみ、ナイスやんか」と言って楽しそうな光景が周囲の人にも伝わったそうです。
このことから家庭では大坂なおみさんにも日本語で話しかけていたようですね。
父親はその後、2006年から2012年までは映画監督もされていました。
地元ハイチで映画の制作に携わっていましたが、制作した映画の本数は3本です。
2006年『セルフィッシュ・ラブ』
2009年『ハードタイム』
2012年『ポップ・パ・パパ』
こちらが父親の作品ですが、『セルフィッシュ・ラブ』には子供の頃の大坂なおみさんが出演したみたいです。
父親の作品は日本では公開されませんでしたが、YouTubeでは予告動画を公開していたみたいです。
2013年以降の父親の作品がありませんが、それは大坂なおみさんがプロテニスプレイヤーとしてデビューしたからです。
恐らく父親は大坂なおみさんのテニスのことで忙しくなって映画を作成する時間が無くったのでしょう。
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